パソコンに触れる時間が激減している中、電車の中でちびちび読み進めていたマンガにハマりました……。や、ジャンルは増えません。その余裕がないというのもさることながら、夢に書きたい方向じゃない好きというか。
ぶっちゃけ、死にネタばっかりになりそうなマンガだしなあ。
『皇国の守護者』というマンガで現在は4巻まで発売中。たぶん、5巻はまだだったと……思います。
原作小説は9巻まで出ているんだったかな……原作には今のところ手を出す気はないんですが、はてさて(元活字中毒者とは思えないセリフ^^;)
架空の国の戦争の話です。
いきなり皇国の話を始めたのは、これを読んでいてちょっと銀英伝に思うところがあったので、それを書こうかと。
前々から少々疑問に思っていたことが、はっきりしたというか、余計もやもやしたというか(^^;)
銀英伝批判になる、かなあ。とにかく誉めてはいません。
ともかく「それってどうよ?」と思った部分のお話。
うちの話の長編の現在よりずっと後の時間の話になるので、ちょっとネタバレ含みます。
皇国の内容にも触れるので、皇国ネタバレもあります。まだ読んでなくてこれから皇国の守護者を読むつもりの方もご注意、ということで。
その上、恐ろしく長いです。
その辺りをご了承の上で興味がございましたら、「続きはこちら」からどうぞ。
久々の日記記述なのにこの内容って(ーー;)
ぶっちゃけ、死にネタばっかりになりそうなマンガだしなあ。
『皇国の守護者』というマンガで現在は4巻まで発売中。たぶん、5巻はまだだったと……思います。
原作小説は9巻まで出ているんだったかな……原作には今のところ手を出す気はないんですが、はてさて(元活字中毒者とは思えないセリフ^^;)
架空の国の戦争の話です。
いきなり皇国の話を始めたのは、これを読んでいてちょっと銀英伝に思うところがあったので、それを書こうかと。
前々から少々疑問に思っていたことが、はっきりしたというか、余計もやもやしたというか(^^;)
銀英伝批判になる、かなあ。とにかく誉めてはいません。
ともかく「それってどうよ?」と思った部分のお話。
うちの話の長編の現在よりずっと後の時間の話になるので、ちょっとネタバレ含みます。
皇国の内容にも触れるので、皇国ネタバレもあります。まだ読んでなくてこれから皇国の守護者を読むつもりの方もご注意、ということで。
その上、恐ろしく長いです。
その辺りをご了承の上で興味がございましたら、「続きはこちら」からどうぞ。
久々の日記記述なのにこの内容って(ーー;)
疑問は、アムリッツァ会戦の話。
の、正しくは会戦そのものではなく、一連の同盟による帝国領侵攻作戦の前半部分の、ラインハルトの取った作戦です。
大攻勢の同盟軍を、いかに味方の損害を少なく、徹底的に叩きのめすか。
その点において、ラインハルトの取った作戦は効果の面では間違いなく最良だったと思います。
敵を領土の深くまで誘い込み、疲労の極みでこれを討つ。非常に理に叶っている。
イゼルローン回廊の入り口に陣を展開して、出端をくじいて叩き返すよりも甚大な被害を与えることができるし、事実この会戦における損害のお陰で自由惑星同盟軍は壊滅的な打撃をこうむることになったわけです。
その前条件に、ラインハルトは同盟領近くの辺境惑星から一切の軍を撤退させたわけですが、そりゃ小勢をぶつけて無駄に人命や艦艇を消費するのは愚の骨頂なので、それもいい。
ただ、その際に辺境惑星処々から「物資を一切合財引き上げている」んですよ。
これは同盟軍の兵站に打撃を与えるためであり(解放軍を名乗っている以上は、民衆に物資を配給しないといけないので)、のちに同盟軍が撤退した後に物資を民衆に配給して、「民を養う力があるのは帝国であって反乱軍ではない」ことを周知させることにもなる。
うんうん、確かに確かに。
……この作戦、民衆を武器として利用しているのですが、本当にラインハルトは民衆の味方なのか!?
これがずーっと引っ掛かってました。
後々、貴族連合との戦いでラインハルトは民衆側を味方につけています。
確かに、門閥貴族に比べればラインハルトは民に優しい。でも、諸手を上げて歓迎するほど民衆の味方じゃないよなあ。
いや、ラインハルト自身が「私は民衆の味方だ!」と宣伝したわけではなく、民衆の考えがそっちへ傾いていた、というだけなんですが……。
アムリッツァ前哨戦前に、もし軍隊だけ撤退して物資を残していれば、同盟は民衆に食糧その他の物資を配給する必要もなく、戦いにもっと時間がかかり、軍や国全体の損害ももっと甚大なものになっていたことでしょう。
だから作戦が間違っているとはいいません。
ただ、この作戦は民衆に多大な被害が出ることは明らか……というか、それを織り込み済みな作戦だったことは確実です。
原作では多く描かれていませんが、暴動を起こしたり、一部の艦隊は略奪も行ったわけですから、死傷者はかなり出ているはず。
皇国の守護者において、主人公の新城直衛はラインハルトよりももっと徹底した焦土作戦に出ています。敵に物資を現地調達させないために、村人を全員後方の町へ騙して向かわせ、無人になった村を焼き払い、井戸に毒まで投げ込んで。
何もかも焼き払い、井戸に毒なんて放り込んだら、戦争が終わったあとに村人はどうなるんだよ!?という問題がある分、新城の作戦のほうがずっと深刻。
ただし、状況はまったく違います。
新城は負け戦の殿軍役を押し付けられた、という大きな差異。相手は先鋒だけで十倍の数。後詰には本隊が迫っていて、その数総勢4万。
対する新城が焦土作戦の決行を決意したとき、新城の部隊は6百余。
撤退のための十日間の時間を稼ぐことが目的なので、実質相手にするのは相手の先鋒部隊だけとはいえ、はっきり言って
「他に方法なんてあるか、焦土作戦を取ったってほぼ不可能だ」
に見える状態でも、部下の一人は焦土作戦に批判的だったし、他の部下も渋々納得する、という態度でした。
対するラインハルトの方なんですが……たぶん、その部分を描いてないだけで、ミッターマイヤー辺りはあまり賛同してなかったと……思いたいんですけどねえ、この作戦。
キルヒアイスに関しては、たった数行ですが「言葉にも態度にも表していないが民衆に犠牲を強いる作戦を快く思ってはいない」とラインハルトが見て取っているわけなんですが。
正直、他に方法がないわけでもなく、最も効果的だからという理由で採用した案だとしたら、キルヒアイスの場合は「快く思ってない」よりも「反対している」ほうがしっくりくるなあ。
いや、他に方法がないとしても、もっと苦渋の決断でもいいはず。ヴェスターラントの件ではあんなに怒ったのに。
犠牲になる数が違うといえばそれまでですが、キルヒアイスってそういうことで割り切る人でもないような。
ラインハルトにしても、敵を誘引する作戦で民衆を犠牲にすることはスパッと割り切ったのに、ヴェスターラントへの核攻撃を見過ごすことには酷く消極的でした。
なんでだ。やってることは大差ないよ。
自分の、軍の都合で、民衆を犠牲にするんだから。
犠牲者の数が違いますか。核で焼かれるのは残虐だけど、飢えて暴動を起こす、あるいは敵兵の略奪を受けて死傷するのは残虐じゃないんですか。
んなわけはない。
むしろ、ある意味では自分から積極的に民衆を犠牲にしたのはアムリッツァのときなのに、ラインハルトがその後に長く苦しんで罪悪感を持つのはヴェスターラントの件でした。
あれはキルヒアイスの死とも繋がっているからと考えると納得できるんですが、だったらラインハルトの罪悪感はキルヒアイスに対して、あるいはその存在を失った痛手に対してのもので、痛みは民衆に向いてない。
でもそうすると、今度はヴェスターラントで妻子を失った男に襲われたときにショックを受けていたことと矛盾があるように思えます。
最初から正面決戦した場合の軍人の犠牲>アムリッツァ前哨戦における撤退策で出た民衆の犠牲
だったとは思います。少なくともそうでなければ、ラインハルトはそれこそ軍人と民の命に優劣をつけていることになるので。
ラインハルトの決断の理由は、単純に数を比較してのことだろうと。
(ヴェスターラントの場合、惑星住民の被害は200万人。核攻撃による貴族側の自爆がなければリップシュタット戦役で一千万人は死傷者が増えていた、というのがオーベルシュタインの見解)
ただ、焦土作戦を行った新城がそれを「愚劣な策」と自身で評していたのに対して、ラインハルトの撤退策は華麗なものとして扱われているのがどうも、ね。
皇国と銀英伝では、描いている物語の中心点が違うので並べるのもおかしな話ではあるんですが、そう、それならせめてヴェスターラントの件がなければよかったのに。
ヴェスターラントで悩むなら、アムリッツァでも悩んでくれよラインハルト。
心ならずだったとしても、自分自身で進んで犠牲にした民衆は、そっちのほうなんだから。
自国の民を犠牲にしている点はどちらも同じなのに、ヴェスターラントは良心の呵責に耐え切れないもので、アムリッツァはただの軍事行動。
内戦と侵略防衛線の違いもあるからって、未だにこの件は納得できないのでした……。
いや、物語的にラインハルトのトラウマが増えたら散漫になるのはわかっているんですけどね!?
あと、やっぱりキルヒアイスとミッターマイヤーくらいには、批判反対意見とまでは言わないから、もうちょっと、納得し難いながらも飲み込んでいる、という描写が欲しかった、な……(キルヒアイスはあるけど)
でもそんなものを入れたら、物語のテンポや壮麗さが犠牲になるんだよなあ。
あちらを立てればこちらが立たず。
の、正しくは会戦そのものではなく、一連の同盟による帝国領侵攻作戦の前半部分の、ラインハルトの取った作戦です。
大攻勢の同盟軍を、いかに味方の損害を少なく、徹底的に叩きのめすか。
その点において、ラインハルトの取った作戦は効果の面では間違いなく最良だったと思います。
敵を領土の深くまで誘い込み、疲労の極みでこれを討つ。非常に理に叶っている。
イゼルローン回廊の入り口に陣を展開して、出端をくじいて叩き返すよりも甚大な被害を与えることができるし、事実この会戦における損害のお陰で自由惑星同盟軍は壊滅的な打撃をこうむることになったわけです。
その前条件に、ラインハルトは同盟領近くの辺境惑星から一切の軍を撤退させたわけですが、そりゃ小勢をぶつけて無駄に人命や艦艇を消費するのは愚の骨頂なので、それもいい。
ただ、その際に辺境惑星処々から「物資を一切合財引き上げている」んですよ。
これは同盟軍の兵站に打撃を与えるためであり(解放軍を名乗っている以上は、民衆に物資を配給しないといけないので)、のちに同盟軍が撤退した後に物資を民衆に配給して、「民を養う力があるのは帝国であって反乱軍ではない」ことを周知させることにもなる。
うんうん、確かに確かに。
……この作戦、民衆を武器として利用しているのですが、本当にラインハルトは民衆の味方なのか!?
これがずーっと引っ掛かってました。
後々、貴族連合との戦いでラインハルトは民衆側を味方につけています。
確かに、門閥貴族に比べればラインハルトは民に優しい。でも、諸手を上げて歓迎するほど民衆の味方じゃないよなあ。
いや、ラインハルト自身が「私は民衆の味方だ!」と宣伝したわけではなく、民衆の考えがそっちへ傾いていた、というだけなんですが……。
アムリッツァ前哨戦前に、もし軍隊だけ撤退して物資を残していれば、同盟は民衆に食糧その他の物資を配給する必要もなく、戦いにもっと時間がかかり、軍や国全体の損害ももっと甚大なものになっていたことでしょう。
だから作戦が間違っているとはいいません。
ただ、この作戦は民衆に多大な被害が出ることは明らか……というか、それを織り込み済みな作戦だったことは確実です。
原作では多く描かれていませんが、暴動を起こしたり、一部の艦隊は略奪も行ったわけですから、死傷者はかなり出ているはず。
皇国の守護者において、主人公の新城直衛はラインハルトよりももっと徹底した焦土作戦に出ています。敵に物資を現地調達させないために、村人を全員後方の町へ騙して向かわせ、無人になった村を焼き払い、井戸に毒まで投げ込んで。
何もかも焼き払い、井戸に毒なんて放り込んだら、戦争が終わったあとに村人はどうなるんだよ!?という問題がある分、新城の作戦のほうがずっと深刻。
ただし、状況はまったく違います。
新城は負け戦の殿軍役を押し付けられた、という大きな差異。相手は先鋒だけで十倍の数。後詰には本隊が迫っていて、その数総勢4万。
対する新城が焦土作戦の決行を決意したとき、新城の部隊は6百余。
撤退のための十日間の時間を稼ぐことが目的なので、実質相手にするのは相手の先鋒部隊だけとはいえ、はっきり言って
「他に方法なんてあるか、焦土作戦を取ったってほぼ不可能だ」
に見える状態でも、部下の一人は焦土作戦に批判的だったし、他の部下も渋々納得する、という態度でした。
対するラインハルトの方なんですが……たぶん、その部分を描いてないだけで、ミッターマイヤー辺りはあまり賛同してなかったと……思いたいんですけどねえ、この作戦。
キルヒアイスに関しては、たった数行ですが「言葉にも態度にも表していないが民衆に犠牲を強いる作戦を快く思ってはいない」とラインハルトが見て取っているわけなんですが。
正直、他に方法がないわけでもなく、最も効果的だからという理由で採用した案だとしたら、キルヒアイスの場合は「快く思ってない」よりも「反対している」ほうがしっくりくるなあ。
いや、他に方法がないとしても、もっと苦渋の決断でもいいはず。ヴェスターラントの件ではあんなに怒ったのに。
犠牲になる数が違うといえばそれまでですが、キルヒアイスってそういうことで割り切る人でもないような。
ラインハルトにしても、敵を誘引する作戦で民衆を犠牲にすることはスパッと割り切ったのに、ヴェスターラントへの核攻撃を見過ごすことには酷く消極的でした。
なんでだ。やってることは大差ないよ。
自分の、軍の都合で、民衆を犠牲にするんだから。
犠牲者の数が違いますか。核で焼かれるのは残虐だけど、飢えて暴動を起こす、あるいは敵兵の略奪を受けて死傷するのは残虐じゃないんですか。
んなわけはない。
むしろ、ある意味では自分から積極的に民衆を犠牲にしたのはアムリッツァのときなのに、ラインハルトがその後に長く苦しんで罪悪感を持つのはヴェスターラントの件でした。
あれはキルヒアイスの死とも繋がっているからと考えると納得できるんですが、だったらラインハルトの罪悪感はキルヒアイスに対して、あるいはその存在を失った痛手に対してのもので、痛みは民衆に向いてない。
でもそうすると、今度はヴェスターラントで妻子を失った男に襲われたときにショックを受けていたことと矛盾があるように思えます。
最初から正面決戦した場合の軍人の犠牲>アムリッツァ前哨戦における撤退策で出た民衆の犠牲
だったとは思います。少なくともそうでなければ、ラインハルトはそれこそ軍人と民の命に優劣をつけていることになるので。
ラインハルトの決断の理由は、単純に数を比較してのことだろうと。
(ヴェスターラントの場合、惑星住民の被害は200万人。核攻撃による貴族側の自爆がなければリップシュタット戦役で一千万人は死傷者が増えていた、というのがオーベルシュタインの見解)
ただ、焦土作戦を行った新城がそれを「愚劣な策」と自身で評していたのに対して、ラインハルトの撤退策は華麗なものとして扱われているのがどうも、ね。
皇国と銀英伝では、描いている物語の中心点が違うので並べるのもおかしな話ではあるんですが、そう、それならせめてヴェスターラントの件がなければよかったのに。
ヴェスターラントで悩むなら、アムリッツァでも悩んでくれよラインハルト。
心ならずだったとしても、自分自身で進んで犠牲にした民衆は、そっちのほうなんだから。
自国の民を犠牲にしている点はどちらも同じなのに、ヴェスターラントは良心の呵責に耐え切れないもので、アムリッツァはただの軍事行動。
内戦と侵略防衛線の違いもあるからって、未だにこの件は納得できないのでした……。
いや、物語的にラインハルトのトラウマが増えたら散漫になるのはわかっているんですけどね!?
あと、やっぱりキルヒアイスとミッターマイヤーくらいには、批判反対意見とまでは言わないから、もうちょっと、納得し難いながらも飲み込んでいる、という描写が欲しかった、な……(キルヒアイスはあるけど)
でもそんなものを入れたら、物語のテンポや壮麗さが犠牲になるんだよなあ。
あちらを立てればこちらが立たず。
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